部屋が変われば…

「部屋が変われば自分が変わる」と言われます。

 

「そりゃあそうでしょう」というのが半分。

もう一点「確かにそうでした」というのが半分です。

私は、家を買って、自分の思った通りのインテリアを、インテリアデザイナーの飯沼さんと共に作りました。

その後5年間に起こったこと。

1)離婚

2)昇進

3)犬を飼う

4)障害のある兄の永住先が決まる

5)会社をやめる

6)両親と同居

7)起業

とまあ、ざっとこんなことになります。たった5年で目まぐるしい変化です。1、2、3、4ぐらいまではまあ、普通に生きていればあることかと思いますが、4は、とてもラッキーだったと思っています。結果両親と同居することになったのですが、首都高速がまるで「我が家と施設を結ぶ為に掘ったよう」に存在し、ドアツードアで20分。なので、毎週私が送り迎えで車の運転手をしています。施設も、療養施設としては特Aと言っていいほどのところで、心からラッキーだったと思っています。

そして驚きだったのが(5)。

まさか、辞めることになるとは思っていませんでしたが、なんとなくその時期がきてしまったのです。結果的に、現在は、美しいギャラリーに通い、Facebookなどで自分の名前で日々の暮らしを綴り、自分の顔でネットワークを築く努力をしています。

新聞時代は、阪神支局襲撃事件や、社長室で右翼割腹自殺などが記憶に新しかったですし、誤報事件とか慰安婦報道問題の時は、ものすごい数の報道陣と右翼の街宣がありました。会社の前に警視庁の警備隊が車を出して警戒に当たっていましたが、正直出社が怖かったぐらいでした。それ以外でも、毎日本社の前で繰り広げられる右翼の街宣活動などがあるわけですから、個人名を晒したり、A新聞の社員であることをネットに書くとか、そこで感じた自分の意見など、とてもネットでかけるような状況ではありませんでした。また、中途半端な知識でいい加減なことを書くと、会社に迷惑をかける、という意識も強くありました。

でも、今は自由。そして、それまで必要がなかったからできなかったエクセルやら、写真の加工やら、普通の仕事だったら当然身についているはずのスキルが、まったくの空白でしたので、それも急いで身につけています。

また、年老いた両親と同居できたことも、良かったと思っています。いろいろ助け合いができるからです。先日は、白内障手術の付き添いに行ってきました。

そして、起業。新聞の仕事は、基本「1秒でも過去に起きたこと」を事実として書くことです。しかし、ビジネスは違って、なんにも確定的事実はない未来に向かって、投資していくことです。未来を想像するには過去を知ることが必要なのは、もちろんなのですが、過去ばかりを相手にしていては、世間の半分しか知ったことにならないな、と思ったのです。一度しかない人生、ぜーーーんぶ経験したい!という貪欲さが生まれました。また、いろんなことに対する「オープンマインド」が培われたような気がします。

そんな「心の姿勢」を与えてくれたのが「新しいインテリア」だったと、思います。