英米の全体主義 伊の個別主義

先日、とあるインテリアの専門家の方と話していて、「なるほど!」と思ったことに「イタリア家具は建築家と相性がいい。アメリカ(やイギリス)の家具は、内装家具含めた全部がインテリア」という発言がありました。

簡単には説明しにくい話なのですが、なぜ日本で主流になっている家具が「イタリア」なのか(ここでは北欧はとりあえず置いておきます)の読み解きです。

 

歴史的に言っても、現在に至る外交関係的に言っても、アメリカは、イギリスの「亜種」みたいなものと考えていいでしょう。だから望むインテリアも共通点が多いし、私の目指すものは英米的インテリアです。実際、私が「いいな」と思うインテリアは、ロンドン方面に傾倒したインテリア関係者が多い。

イタリア家具は、元々は、大変に装飾的な、猫足で彫刻でゴージャスなものです。それが、どんどんミニマルにいきついたのが、現在のイタリアモダン家具です。いずれにせよ、イタリアの家具というのは、大変主張が強い。だから、クリーンでシンプルな部屋に、ポンと家具を置けば、それだけで絵になる、というモノヅクリの発想です。

一方、英米のインテリアは、壁紙があって、モールディングがあって、アートがあって、オブジェがあって、カーテンがあって、ドアがあって、ドアにはケーシングがあって、ドアノブがあって、窓があって。ソファにはクッションがあって。そういうのを全部含めてインテリアとして考えるのです。だから、家具は、そのインテリアの一部。

そして確かに。私はそういうパーツが全部好き。ドアノブとかスイッチとか大好物です。

だから、「普通の家具がない」という発想は、英米志向のインテリアを望む人には、分かってもらえるのかもしれません。

インテリアを指向するとき、この英米の「全体主義」とイタリアの「個別主義」は、どちらかに指針をつくらないと、道が見えてこないものです。なぜなら、どちらも正しい「美の型」だから。

入れ物と中身を別個に考える、イタリア的インテリアの発想は、今日本にそこそこ行き渡っていると思います。なぜなら、日本の高級注文建築住宅が、基本イタリア的発想で作られているから。文化は基本的に「高いところ」から行き渡っていきます。マクドナルドが日本に進出したときは、「銀座」に店舗を構えた。高いところと低いところの高低差があって、文化は行き渡るのです。日本の高級注文住宅がイタリア的な方向でここ十数年の間に作ったから、「イタリアモダン」が日本における高級家具の代名詞となった。本当に「高級建築大手」の数社が、イタリア系とマッチしたから、行き渡ったといっても過言ではない。

けれども、日本人がたくさん目にしている欧米インテリアというのは、基本アメリカなんです。映画も、ドラマもそう。アメリカと、その源流としてのイギリスでしょう。ヒルトンとそのラグジュアリー版であるコンラッドはもちろんアメリカ。フォーシーズンズも、カナダ・トロントです。トロントなんて、ほとんどアメリカみたいなところです。野球やアイスホッケー、一緒のリーグで試合していますしね。インターコンチネンタルもイギリスです。となると、日本ではイタリアモダンの家具が高級とされ、流通しているのに、ボヤッと「ホテルみたいな空間を作りたい」と空想したってマッチしないのは当然です。

となると、日本人はどっちに向いてインテリアを作れば良いか、目指す気持ちが空中分解してしまうのです。そして、日本ではイタリア的インテリアは、お金持ちなら実現できるけれど、英米的インテリアを好む人にとっては「とにもかくにも、家具がない」ということになってしまう。

だから、アデラインはアメリカの家具なんです。その空白が埋まるように。

とはいえ、やはり私自身がイギリス派と話が合ってしまうので、どうやらイギリスの家具も扱うことになりそうです。イギリスの方が、家具のサイズも小さいので、便利も良い。

言い切ってしまったら、誰かの気分を害してしまいそうな気もしますが、何事も「補助線」を引いたとたん物事が分かりやすくなることは多いので、あえて言わせていただきます。

心の隅に置いておいてください。英米とイタリアの、インテリアの違い。たぶん、絡まった糸がぐっとほぐれてくるはずです。

 


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